私=情報。他者との関係性によって存在するソーシャルなもの

こんばんは。

 

今日は少し片付けをしました。

 

そこで思ったことなのですが、

物をどんどん捨てていく中でふと

「すべて捨てることができる」

ということに気づきました。

 

私の物をすべて捨てた時に

何も残らなくなる。

 

本質的に所有しているものは

何もないということを知ったのです。

 

そうなると私とは情報でしかなく

他者との関わりの中で

存在しうるソーシャルな存在なんだと思いました。

 

どんな経験をしてきたか

どんな意思決定ができるのか

どんな言葉を発し

どんな行動を起こし

どんな関係構築ができるのか

 

という情報の塊。

 

となると、ブログなどIT空間に文章などを

蓄積して残せるものは

自分が何者であるか

アイデンティティーを確認するための道具になるし、

他者から自分をどのように認識させ

そして、その認識によって存在する

(厳密に言えばソーシャル的に存在しうる)

ことが可能になり存在感を獲得するんだなと。

 

映画「GHOST IN THE SHELL」とも

繋がってくる話ですが

今ここから私という存在を規定することも可能です。

 

今の自分のアイデンティティーを知るための道具を

過去に求めず、すべてを捨て去り、消し去り、無にする。

いわば「All Zero化」

 

その上で

 

何を目指し

何をしている存在なのか

他者に自分をどう認識させるのか

によって決められる私というアイデンティティー。

 

なので、私の中にあった夢や希望は

Design実践によって初めて発信され

他者との関わりによって認識され存在感を得る。

 

そこから私はReborn、Reset、表現はなんでもいいですが

可能なんですね。

 

この世界をどう認識し

どんなGAMEを設計するのか

それもまた私の自由。

 

何も認識の主体は他者だけの話ではないのですから。

 

「認識が世界を変える」

 

この事実にどう向き合うか。

 

その土台となる「All Zero化」を技術として

獲得することが先決ではありますが。

 

そして、この技術が

日本オリジナルの教育産業として

世界に発信されていくことによって

日本文化や日本の涙が昇華され

新価値として全世界で認められることで

「Healing & Exciting」が同時に起こる。

 

楽しみじゃないですか?

 

これが私の出会った日本の可能性。

 

本日も最後まで読んでくださりありがとうございました。