なぜ人は与える側なのか

発展的な会話

さらなる進化が見込める美的感覚

私たちの心を踊らせる流れには

何か共通するものがありそうです。

 

そこからフラクタルしてく

日常の非日常化

それが習慣となっていけば

次元の違うことが起こることに。

 

それは未来からのメッセージでもあると思います。

 

一方で、過去をあてにした姿勢では

淀んでいくイメージが静かに未来を覆っていく気がします。

 

自立とはまるで

いつからか繋がれていた鎖を断ち切って

今までの範囲を超える一歩を踏み出す

その瞬間から始まることなのかも知れません。

 

誰かや何かをあてにし過ぎたり

無責任に生きることは

依存や甘えと表現されるように

それぞれのタイミングはあると思いますが

卒業していくことが必要なものかも知れません。

 

それは、

「すでにたくさんの愛を受け取っていたのだ」

と知ることかも知れません。

だとしたら「あとは愛を与えるだけ」と

方向性が反転してしまうことのようにも思います。

 

無理して与えようとするのは

しんどいかも知れませんが、

「与えることしかない」と知ってしまったなら

それは満たされていることの裏返しと言えると思います。

 

そこには本来あるべき何かが観えてきて然るべきと思います。

 

お父さん、お母さん、ありがとう。

 

本日も最後まで読んでくださりありがとうございました。