父親ごころ

今日は私の幼馴染みであり

また志を同じくする私の後輩でもある

友人の新たな出発の式典に参加してきました。

 

仕事の合間を縫っての参加だったので

少し切り替えに苦労しました。

 

式典自体は順調に運び

オブザーバーだった私も

静かに見守っていました。

 

最後に後輩から手紙をもらうサプライズがあったのですが

手紙を渡す時に彼の目には涙が滲んでいました。

 

そこから少しずつ

その場に居合わせた実感が生まれ

今日の式典に私が参加したことの意味が

確認できた瞬間のように思いました。

 

そして、別れ際に

「彼の成長に関与できた実感」

を噛みしめる私がありました。

 

その後、帰路につくのですが

その時に私の脳裏にふと父親の姿がよぎりました。

 

私の父親は母親に

「子育ては母親がやっているものだと思ってた」

という言葉を述べたことがあるそうです。

 

私は大学ぐらいの時から父親を登山に誘ったり

旅館や旅行に行ったり、飲みに行ったりするようになりました。

 

この前も映画の後、焼き鳥屋に行きました。

 

そんな父親との場面を振り返ると

私と酒を酌み交わしたり政治の話をしたりするのが

嬉しいという感じの雰囲気や言葉だったのを思い出します。

 

父親は最近になって

私の成長や私との時間を味わい確認し

自分の息子が大きくなったことを実感したんじゃないか

と予想しますし、父親としての実感もまた噛みしめる機会を

得たんじゃないかと思います。

 

父親とはどういうものなのでしょう。

 

ある意味では男と男のようにも感じるのでしょか。

 

子育てにおける自分をどのように捉えているのでしょうか。

 

そんな父親としての寂しさや待ちわびていた(?)もの

自分の意味や価値の再発見、母親への思いなどなど

父親ごころ」のようなものに思いを馳せる

そんな機会に恵まれました。

 

また父親と時間を共にする際には

もう一歩進んだ交流ができるのではないかと

微かな期待感や楽しみを覚える私がいました。

 

追って良い報告ができる日が来たら嬉しく思います。

 

本日も最後まで読んでくださりありがとうございました。