柿が私にこっそり教えてくれたメッセージ

今日お昼ご飯を食べ終わった時に

私の目の前には柿がありました。

 

私は柿と対峙しながら沈黙の中

エネルギー交流を静かにそして激しく

行なっていたと思います。

 

すると、近くにいた友人が聞き役になってくれたことで

重要な認識の変化を遂げることとなりました。

 

私にとって柿は

「食べることはできるけど、好んで手を出さない」

ものでした。

 

食べれるのだけど食べてる時も

「いやいや食べてる感覚」が襲ってきますし

飲み込む時も抵抗(胃が小さくなるような感覚)があり

リバースしてしまったことは無いのですが

どうしても美味しく食べることができない。

 

そんな存在でした。

 

私が柿を見るとオートで付いてくるイメージがあります。

それは母との関係です。

 

私の母は柿が大好きですし

柿は栄養価も高い食べ物です。

私の母は干し柿も好きでよく食べていましたし

「種の周りが一番おいしい」と言って

しゃぶりつくようにして食べていました。

 

それはそれは本当に美味しそうに食べていました。

 

しかし、おそらく、これは私の予測ですが

私がお腹がいっぱいだったり

そんなに食欲がない時に

母親から柿を勧めらてたのではないかと。

 

「美味しいから食べなさい」

「体にいいから食べなさい」

そんなフレーズが聞こえてきます。

 

そして私はそれを受容して

食べたのだと思います。

そこで頑張っちゃって少し無理したかもしれません。

そう、いやいや食べて、いやいや飲み込んだ気がします。

 

そんな母の一方的で押し付けがましい愛に抵抗する

そんな反応が出ていたのだと思います。

 

しかし、前回の記事にもあるように

今年の誕生日を経験する中で私は

「受け取る」ことがストレッチングされている

そんな変化を感じていました。

 

なので、「今までとは違う柿との出会い方ができる」

そんな気がして沈黙の中、柿と対峙していたのでした。

 

こんな風に私の現在地を言語化し

柿に対する反応やその裏にある根拠となるイメージ

を明確にして5感覚脳の仕組みとつなげます。

 

そして、今度は立場チェンジして母親の認識画面に入ります。

 

すると母は柿が好きでしたし、

体にいいことも知っていましたから

私に柿を食べさせたい理由も思いも明確なので

進言してきます。

 

ここでさらに推察を深めてみた時

それだけのエネルギーがどこから来るのか

予測が立ちます。

 

それは私の記憶がソースです。

 

私は小学生の頃は、骨折も多く

よく風邪を引いて学校を休んだりしていました。

 

さらに生まれた時は全身がアトピーで真っ赤。

母親は大変な苦労をして食事療法に取り組み

アトピーの私の体質を改善してくれました。

 

今でも心配は絶えません。

 

そんな母だったので

私の健康に対する意識は相当なものだったのだろうと

思うことができました。

 

そうすると、私に柿を食べさせたい思いの裏にある

イメージやエネルギーが理解できます。

 

そして、悟ります。

 

私はそんな母から痛いほどの愛を受けていたのだと。

 

それが観点により屈折して柿に屈折したイメージを被せていたのだと。

 

そこで、思いました。

私はいつもそんな痛いほどの愛を母からたくさん受けていたし

そんなことが今ままでたくさんあったはずだ。

 

それをわかった上で今ここ改めて

私と柿との出会いを真理から見つめます。

 

柿は包丁で上手に切られてあり

言わば「食べられた〜い」という意志の塊です。

 

私の口は歯があり唾液も出るし舌もあり

言わばその機能は「食べた〜い」意志の塊です。

 

この現実は妊娠状態の場。

 

その神秘的な出会いの場面として

「出会いた〜い」と柿を一切れ手に取り

口に運び頬張ります。

 

すると口の中に柿の味がジワ〜と広がり

浸透していくのがよくわかります。

 

咀嚼しながら「出会いたい意志」

芸術感覚を感じた私。

 

「率直に言おう。うまい。」

 

それが私の柿を食べた感想。

 

こうして認識の変化を感じ

日常での観術の活用に感謝し

人間の魂の進化に感動する。

 

私がまた少しバージョンアップして

「外を取り入れる機能がバージョンアップした」

と喜び近くにいた人と共有する。

 

私はおもむろに柿をもう一切れ手に取り

口に頬張り食す。

ごく自然に。

 

もう私は変わってしまったのだ。

 

そして、ふとこんなことを思いました。

「人生で柿がこんなに美味しいと思ったことは初めてかもしれない」

 

さらに私にとって柿のようなこと

それこそ認識が実際のところたくさんあったのだろうと。

それらがこれからは無きものとなっていることが予測され

自由度が上がり人生が豊かになり深く優しくなれる。

 

私と柿と母の組み合わせによって演出された今日。

 

これもまたオーケストラであり、

柿による反転の妙技。

 

さらに付け加えれば

この話を聴いてくれた友人も昨日

ブレークスルーを経験しており

エネルギー的なバックアップが何かあったのかも知れません。

私も聴いてくれる存在が必要でしたしね。

 

柿が私にこっそり教えてくれたメッセージ。

 

本日も最後まで読んでくださりありがとうございました。

 

p.s.

これは観術を日常で使うプロセスの一例となりました。

これを共有できたことを嬉しく思いますし感謝いたします。

改めて本ブログを開始し継続してこれて本当に良かったです。

 

これからもどうぞよろしくお願い申し上げます。